
|
しかし、実際に練習に入ると、困難は予想以上であった。
三十三座全部の舞をかすかに記憶していたのは、長老格で太鼓の名人と呼ばれた人がただ1人だけであったし、ほとんどが兼業農家であるので、会社や工場が終り、夕食をすませて集落の公民館に集まれるのは、午後8時が精一杯で、しかも全員が確実に出席出来るのは極めて稀れであった。
しかも、波野村は阿蘇の高原地帯にあって大分県に接し、秋の終りから春の初めまでは、夜は寒風にさらされるのが常であった。
公民館は狭いために、舞を稽古する人は館内で出来るが、太鼓と笛と鉦は、戸外に特設した台の上で演奏しなくてはならなかった。
途中二度にわたって劇場に中止を申し出たが、その都度説得され、力を合せて村の復興に当ることを決意していった。劇場側も館長はじめ職員がしばしば車で片道2時間の距離にある稽古場を訪ねて激励し、深夜に戻った。
平成2年に入り公演が間近かになると、漸く熱気は盛り上り、連夜の猛練習となった。
村がこれほどまでに心を一つにした経験はなかったと、村長はじめ村民は卆直に語った。
熊本県立劇場はこの間にNHKとの徹夜中継の交渉、第1回観光立県に指定された機会を利用して、関係各省を通しての全国主要駅や有力ホテル・旅館への宣伝ポスターの配布、マスコミへの対応を積極的に行い、館長は基金のために精力的に県内での講演その他を実施した。
かくして平成2年2月27日午後2時に、波野村の「中江岩戸神楽三十三座」は、遠く北海道、東北、北陸、東京、大阪からの人々も含めて、8,000人もの観客を集め、中継放送と同時に、全国注目のうちに開幕した。
上演した熊本県立劇場は演劇ホールはもちろんのこと、モニターテレビの前も超満員の観客でふくれ上り、8,000人のうちの6,000人が徹夜で観賞した。
座と座との間を5分間隔とし、ここで館長は神楽の歴史、古事記、次の座の意味する内容などを説明し、総解説時間は2時間45分に達したが、この上演以前に、ほとんどが口伝で、記録に乏しい伝承芸能の研究に、筆舌に尽くし難い辛酸を舐めた。
翌28日午前10時50分、最後の幕が下りると、観客は感動のあまり舞台に殺到し、舞い続けた保存会員や縁の下の力持ちとなって支えた波野村の奥さん達と誰彼の別なく抱きあって、互いに感動の涙を流し続けた。
感動なしに人生はあり得ず、感動こそが文化であるという館長の信念と劇場職員の地域おこしに賭ける情熱が反映し、中江岩戸神楽の完全復元徹夜上演が大きな契機と
前ページ 目次へ 次ページ
|

|